当サイトは一人の開発マンがモノづくりに携わる中、自分の目で直接見たこと、体験したこと、知ったことを発信しています。
ここに書いていることが全ての答えではありませんが、事実の一部として知っておいて貰えればと思います。
目次
カンボジアの現実
- 異様な人口ピラミッド
- 子供しかいない国
- 日本に住む人たちに知っておいて欲しいこと
- 必死に生きている子供たちのこと
- 子供にして英語を話せる理由
- そこにある意思
- 日本人に出来ること
- 厳しい現実
異様な人口ピラミッド
まず知っておいて欲しいこと。それはカンボジアは平均年齢が極端に若いということ。
日本では50代以上の方が多く、高度高齢化社会の国。
世界的に見ても長生きであり人口ピラミッドの形からいうと、いわゆる壺型に分類される国。
これは日本とドイツくらいで異様な形の一つです。
これに比べスーダンやインドなど開発途上国は、いわゆる富士山型と呼ばれる若者が多く、年を追うごとに人口が減る形が一般的です。
そんな中カンボジアは極端に若者が多く、漏斗を逆さまにしたような形です。
子供しかいない国、カンボジア
この記事を読んでいただいている方の中には記憶にまだ新しい方もいると思いますがポルポト政権が行った大虐殺が要因の一つですが、この辺りは詳しいサイトが多いので気になる方は一度調べて見てください。
端的に述べると平均年齢が22歳ということ。
街にいるのは大半が子供。
二十歳以上の人間は、むしろ立派な大人として見られているような国です。
かつて学校の先生、医師、学者が多くいたカンボジア。
さらに、その遥か昔を考えると世界一進んでいた先進国だったクメール王朝。
いつの時代も出る杭は打たれるというか極端に発展していたものはある種、ジェノサイド(集団殺戮)のように滅ぶのですが、これに近いことが起こりました。
能力のある大人たちが、ほぼ全員殺されたのです。
そんなことがありまして、街を見渡してもひたすら子供ばかりです。
たまに出会う大人は”下半身”が無く、地を這いながら追いかけて来て
「見てくれ、こんな体だ。助けてくれ」と語りかけて来ます。
日本に住む人たちに知っておいて欲しいこと
ただ、この国には日本が見習うべき現状があるので、体験したこと紹介します。
必死に生きている子供たちのこと
途上国を旅する中、お金を欲しがられたりすることはよくあります。
いわゆる物乞いのようなこと。
しかし、私が滞在しているカンボジア生活の中では一度たりともありませんでした。
時に、子供がお金を要求してくることもあります。
ただ、その際は必ず英語で話しかけて来ます。
「私は、妹に学校に行かせてあげたい。この財布を買ってくれれば、妹を週二日の学校に通わせることが出来る。私は学校には行けなかったけど、この子(隣の佇む妹)には学校に行かせてあげたいし賢くなって欲しい。勉強して欲しい。勉強出来るように、この財布を買ってもらえませんか」
これは仕事終わり、夜風に当たりながらレストランで夜食をとっていた際に近づいて来た小さな姉妹に言われたこと。
まず、学校にも行けていない3才くらいの妹と恐らく9才くらいの姉妹。
彼女たちは子供にして英語を話せる理由
クメール語ではなく、流暢でなくとも日本人の私でもはっきりと分かる”英語”で話しかけてくること。
そして、単なる物乞いではなく、しっかりと理由を説明した上で、自分たちが作ったという可愛らしい財布を買って欲しいと懇願すること。
世界中には色々な国がありますが、わずか9才の子供が妹の為に独学で英語を学び、見ず知らずに外国人に説明をして、助けを求める。
相手は途上国の子供でありながら、その目にはしっかりとした意思が感じられます。
日本で関わる子供たちは、幸い食べるものがあり着る服があり、誰でも望めば高等教育を受けることが出来る環境にあります。
学ぶことを嫌う子供もいますが、学ぶことに対して障害が少ないからこそ、そこに本人の強い意思は少ないような気がします。
当然、学んでいく中で各々意思は持っていくとは思いますが、わずか9才にも満たない日本の子供は同じ目をすることは無ければ、見ず知らずに外国人に英語で同じようなことを言うことが出来るでしょうか
私自身、この経験を幼い頃にしていれば、もっと必死に勉学に励んだような気がします。
そこにある意思
彼女たちは、必要に迫られて英語を覚え、周りの子供たち(彼女たちよりかは年上)の現実を見て、自分たちの意思で行動をしています。
開発途上国でよくあるモノ欲しさに近寄ってくる子供たちとの違いは、そこに確かな意思があると言うこと。
財布を売り、学校に行き、学び、仕事につき、お金を稼ぎ、自分や家族。そして誰かを幸せにしたいと言うこと。
相手は子供ですが、こちらも誠心誠意向き合わなければとなります。
日本人に出来ること
開発途上国で働くと言うこと、一人の日本人として出来ることは、その国に根付く事業を行い、一時的にお金を渡すことではなく、継続的に雇用を生み続けると言うこと。
現地の方々との生活に寄り添い、共に行きていくと言うこと。
単なる募金や、一度限りの取引ではなく、継続的に事業を続けると言うこと。
厳しい現実
しかしながら現実は厳しく、日本人は「極端に安いものを求め、その上品質も求める」といった現実があります。
たとえば身近な企業でいうと服飾関係が顕著な例でしょうか。
安くて質の良いユニクロなどのファミリーブランド。タグを見てください。そこにはmade in cambodiaやmade in vietnamと書いてはいないでしょうか
日本の消費者が求める価格と品質をクリアするには、必ずどこかにしわ寄せがきます。
そして、その多くは最も弱者である末端の、現場で手を動かす人に来ることが多いのです。
これ以上は長くなるので別の機会に改めますが、カンボジアはこういった子供たちがいることを少しでも心においてもらえればと思います。
その上で、極端に安いものを求めるのではなく、モノにはある適正価格を知り、適正な対価を払うことを少しでも考えてもらえれば、本当有り難いです。
以上、長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。